先日、FA宣言していた広島東洋カープの丸選手が東京読売ジャイアンツに入団する意思を固めたと報道があったので、ちょっと野球の話でも書いてみようかと思った次第です。
(誰得かもしれませんが)少年時代の私のファン歴や、現在の私のプロ野球への接し方、パワプロについてなんかを述べていきます。
少年期はどうだったのか
阪神ファンのあの頃
プロ野球を観るようになったのは少年野球をやるようになってからなので、だいたい2005年前後からだったと思います。ですので物心つく頃にはイチロー選手は既に渡米していた格好になります。
そんな当時はなんとなく黄金期を迎えていた阪神を応援していました。「広島は阪神の2軍」などと云われたりもしましたが、当時の私の目には本当にそのように映っていました。
転機
しかし阪神ファンだった私に転機が訪れます。ある日阪神×巨人のテレビ中継を観ていますと、最終回に守護神・藤川選手が登板してきました。
そこで打席に立ったのが当時若手のホープであった坂本選手。いとも簡単にパッカンとホームランを打った姿に見惚れ、その日から巨人を応援するようになりました。
(たぶんこの試合な気がする)
その後の出来事
しばらく距離を置く
小学校の卒業とともに少年野球をやめ、それ以来現在に至るまでこれといった運動はしておらず、プロ野球はテレビでやっていたら観る程度の関わり方でした(パワポケやプロスピは時折やっていましたが)。
またも訪れる転機
ここ数年のカープ黄金期真っ只中に、なんと進学に伴う広島への転居が決定しました。
広島に実際に住み始めての印象は「宗教国家かここは…?」といったものでした。
街は赤に染まり、あちらこちらから聞こえるカープの応援歌。「明らかに洗脳を行おうとしている…!!」とさえ思った私ですが、球団創設時の状況など、歴史を知ってその熱狂の理由に納得することができました。
パワプロ購入
その後しばらくしてPS2とパワプロ15(2008年の選手データ)を中古で購入し、オートでペナントをぶん回す日々を過ごしました。
2008年当時のカープは現在と違ってBクラスに固定されている状況でしたが、そこからいかにしてAクラス入りやリーグ優勝を成し遂げるか、頭を使っていました。
助っ人外国人のコズロースキー選手を守護神として2020年ぐらいまで起用し続けて250セーブを達成させたり、「ペローン青木」と呼ばれた青木高広選手を中継ぎエースとして起用し、40歳近くまで延命させ続けたりしたのは内緒です。
現在では…
今ではすっかりカープファン…といえるほどではありませんが、おかげさまで全く興味のない人よりは多少知識があるぐらいまでは育ちました。
パワプロをやるときでもマイライフは決まってカープを選択しています。…まあもっとも、2008年版と2016年版とではレギュラー奪取までの難易度が段違いなのですが。
今オフは新井選手の引退やエルドレッド選手の退団など寂しいイベントもありましたが、私の応援する某アンパンマン選手は残留とのことですので引き続き広島東洋カープもよその球団よりちょっとだけ応援しようと思う次第です。
こんな感じに、(セ・リーグに偏りきってますが)私が野球について思うことについて適当に述べてみました。よろしければ今後もお付き合いください。
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